2008年 07月 25日
「あやまる」ということ |
「あやまる」って、年をとるほどになかなか難しくなる
「『ごめん』じゃなくて『ごめんなさい』だろ?」
年下にこんな風に言われた日には、あやまるどころか、その生意気さに激しい身震いを感じた
社長は言う「気持ちはわかるが、とにかくお前が一番後輩なんだからあやまって折れとけ」
なんという理不尽な言葉。こちらのミスならともかく、矛盾だらけの指示に、傍若無人な振る舞いに振り回されても自己主張することすら許されない。彼らにとって、自己防衛のための論理的主張はすべて単なるいい訳になるらしい
僕の考えでは、「あやまる」ことは即座にプライドの問題へと結びつく
人に幾度となく言われた言葉「プライドの高い人ですね」
たしかに自分を気高いと思う気持ちはある
しかし同時に、筋違いであれば誠実にあやまる度量も持っているつもり
人にあやまるとき、僕は大なり小なり自分のプライドが、アイスピックでかち割られるような心持になる
こちらが悪いのならともかく、なぜ理不尽と思える叱責に対しあやまらなければならぬのか、と思い、意地になってあやまらずにいた
やがてやつらとは会話もしなくなった
そういう僕を見かねた社長から、ある日二人きりの話し合いを持ちかけられ、そして事実上の「謝罪命令」が下された
あんなやつらに俺様の大事なプライドを打ち砕かれてたまるものか。よーし、こうなったら、心の入ってない空っぽの謝罪の言葉を言いまくってやる。やつらにはそれで十分だ
そんな気持ちで、「ごめんなさい」「すみません」を事あるたびに連発してみた
さぁ「ごめんなさい」の大安売りだぁ
そうしたら、何かが変わってきた
あやまることになれてきて苦ではなくなってきた
やつらの言葉がすこしずつ柔らかくなってきた
捨て台詞をあまり吐かれなくなってきた
あいつが人にあやまったのをはじめてみた
あやまっているのに、なにか勝った気がした
「あやまる」ということは、決してプライドの貶めなんかじゃなく、人をひとつの勝利へと導く、また「あやまらせる」人より、「あやまることができる」人のほうが心が広く強い、と確信させる「力」なんだ、いうことを知った
「『ごめん』じゃなくて『ごめんなさい』だろ?」
年下にこんな風に言われた日には、あやまるどころか、その生意気さに激しい身震いを感じた
社長は言う「気持ちはわかるが、とにかくお前が一番後輩なんだからあやまって折れとけ」
なんという理不尽な言葉。こちらのミスならともかく、矛盾だらけの指示に、傍若無人な振る舞いに振り回されても自己主張することすら許されない。彼らにとって、自己防衛のための論理的主張はすべて単なるいい訳になるらしい
僕の考えでは、「あやまる」ことは即座にプライドの問題へと結びつく
人に幾度となく言われた言葉「プライドの高い人ですね」
たしかに自分を気高いと思う気持ちはある
しかし同時に、筋違いであれば誠実にあやまる度量も持っているつもり
人にあやまるとき、僕は大なり小なり自分のプライドが、アイスピックでかち割られるような心持になる
こちらが悪いのならともかく、なぜ理不尽と思える叱責に対しあやまらなければならぬのか、と思い、意地になってあやまらずにいた
やがてやつらとは会話もしなくなった
そういう僕を見かねた社長から、ある日二人きりの話し合いを持ちかけられ、そして事実上の「謝罪命令」が下された
あんなやつらに俺様の大事なプライドを打ち砕かれてたまるものか。よーし、こうなったら、心の入ってない空っぽの謝罪の言葉を言いまくってやる。やつらにはそれで十分だ
そんな気持ちで、「ごめんなさい」「すみません」を事あるたびに連発してみた
さぁ「ごめんなさい」の大安売りだぁ
そうしたら、何かが変わってきた
あやまることになれてきて苦ではなくなってきた
やつらの言葉がすこしずつ柔らかくなってきた
捨て台詞をあまり吐かれなくなってきた
あいつが人にあやまったのをはじめてみた
あやまっているのに、なにか勝った気がした
「あやまる」ということは、決してプライドの貶めなんかじゃなく、人をひとつの勝利へと導く、また「あやまらせる」人より、「あやまることができる」人のほうが心が広く強い、と確信させる「力」なんだ、いうことを知った
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by apoyando
| 2008-07-25 08:21